「不惑」とは? 余 録 (1997年10月20日) 邪馬台国の女王卑弥呼は超能力の持ち主で、「よく民衆を惑わせた」という。おなじ みの「魏志倭人伝」の伝えるところだが、「倭人伝」の記事そのものが簡潔すぎて、現 代の私たちまで惑わせている・・・。 − 略 − 漢字語源辞典 「四十にして惑わず」 ・・・ 狭い枠に心がとらわれるのを惑といい、 枠にとらわれぬ自由な気持ちになるのを「不惑」という。 「まどわず」という訓はズレている。 心が狭い枠にとらわれ、自由な判断ができないでいる。一定 の対象や先入観にとらわれる。(学研漢和大辞典) <史記、李斯伝>「外より中を制するを惑という」 とあるのが、惑の本義を道破したもので、惑(心の枠)は 域や國(領地の枠)と同じ基本義をもっている。 「名曰卑弥呼、事鬼道、能惑衆」・・・ みんなの心をとらえ、心服させた。 ※つまりこの「惑」は、魅惑の「惑」である。決してまどわしたのではなく、卑弥呼の魅力にとりつかれた人々が、
心服(心から従った)したという意味なのである。