儒者一覧表
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孔子     551(552)〜479 B.C.
       名は丘、字は仲尼。魯の生まれ。小吏から大司寇まで昇り、周代
       の政治を理想としてその実現に努力したが、失敗し諸国を巡遊し
       苦労した。そののち帰国して弟子の教育に専心し、儒家の祖と仰
       がれる。「論語」はその言行を集めたもの。周の古礼を尊び、仁
       を人間形成、国家統治の原理とした。

孟子     前390頃〜305
       戦国時代山東省鄒の人。名は軻。子思に学び、孔子の学説を発展
       させ、四端説に基づく性善説、五倫の道、王道政治などを説いた。
       梁の恵王など諸侯を遊説したが採用されなかった。楊子・墨子と
       は排撃の論を説き対立している。

「孟子」   四書の一つ。唐の韓退之がこの書を称賛してから宋代に四書に数
       えられるに至った。諸国の王との問答が主であり、富国強兵策に
       仁義をもって答えているが、儒家の面目が現れている。

宋学     宋代の儒学をいう。周敦頤にはじまり、朱熹によって大成された
       朱子学と、それに対する陸象山の説をいう。道教や仏教(禅宗)
       の影響が見られる。

周敦頤    1017〜1073 = 周濂渓
       北宋の儒者。湖南省道県の人。宋学の始祖。太極図説をつくる。
       太極は天地いまだ開けざる前の状態である。訓詁解釈の儒学から
       一躍して、宇宙論・人生観などを論究する儒学にかわった。従来
       の儒学に、仏陀や老子の思想を加え哲学にかわったといえる。
       濂渓(←住所)
       
太極     周敦頤による宇宙の根本を太極という。太極は無極で形なく、規
       定することができない。同時に現実のものである。ゆえに万物を
       生ずることができる。超越するのでなく、万物の中に入りこんで
       いる。太極は理である。

程顥     1032〜1085 = 程明道
       北宋。程明道。程頤の兄。兄弟とも周濂渓に学んで、宋学の大家
       となった。あわせて二程子とよばれる。道教・仏教も学び、儒教
       の本義は真髄を自得した。理気二元説、陰陽説。人の性の中で、
       善悪になるもとは気稟のあり方が正か偏かによる。私心を去り、
       仁を知れば天理にしたがうようになる。


程頤     1033〜1107 = 程伊川
       北宋。程伊川。程顥の弟。性質は厳格であった。
       易の思想に深く影響されており、また独自の見解を示した。事象
       の本体を理とし、その作用で万物化成する。人性に見られる理性
       と気質のうち、気質は気によってきまる。知・敬で矯正すれば理
       性に帰する。程門の四先生のうち、楊時が著名である。

理(朱子の) 理気二元論の理。理は万物に性(本性)を与える宇宙の根本原理
       (太極)で、気は万物に形を与える原理(陰陽五行)。形にとら
       われないでその内にある理にもとづいた本性を見失わないよう、
       人欲を去って事物の理をきわめ宇宙の理を体得せよと説く。

朱子     1130〜1200
       南宋の人。名は熹。号は晦庵。宋代に起こった儒学に関する周敦
       頤・程伊川・張横梁らの各主張をまとめて、体系をととのえた。
       その特徴は、宇宙のすべてを理(天理)と気(人性)との二元に
       よって説明する理気二元論である。四書五経の真意を解明し、注
       釈書をまとめた。史的研究では大義名分を重んじた。

朱子学    宋の周敦頤、程明道、程伊川らに始まり、朱子に至って完成した
       儒学。理気説心性論に基づいて格物致知を目標とする道徳を唱え
       た。中国でも儒学の正統とされ、わが国でも江戸幕府は官学とし
       て保護した。朱子学派には藤原惺か、林羅山、木下順庵、室鳩巣
       山崎闇斎らが属する。

格物致知   「大学」にでてくる語。朱子は、物を知るにはその理をきわめね
       ばならない、窮理がすなわち格物致知であり、要は読書学問にあ
       るとした。陸象山は、反対して直覚的悟入を先とし、王陽明も、
       良知の命のままでよいとした。

陸九淵    1139〜1192 = 陸象山
       陸象山。南宋の朱子らと共に儒学にすぐれ、学説は理一元論で、
       天理と人欲の別を立てない。禅の影響多く内省と悟入をすすめた。

心即理    王陽明は、朱子学が自然や人間の原理である理を、心の外にはた
       らく超越的なものとして説いたのに対し、主体すなわち良知とし
       ての心そのものが自律的に働いて道を実現すると考え、心即理で
       あるとした。

王陽明    1472〜1529
       中国明代の哲学者。官吏となったが流謫され、龍場で思想的立場
       を得た。朱子の学説を批判し、格物致知を経験を重視する立場で
       解し、また、心即理の考えから、良心を完全に実現する致良知が
       人間行動の理想であるとした。


致良知の説  王陽明の説。人のもっている知り行う力を良知という。「大学」
       の格物致知の知とはこの良知で、心の本体いわば良心のことであ
       る。人が学問や経験をしてもこれを増すのではなく、人欲を去っ
       て純粋に良知になれば道徳的判断は正しいものとなる。心の良知
       を確立することがたいせつである。

陽明学    明の王陽明の到達した根本思想を陽明学といい、心即理、致良知、
       知行合一を特徴とする。心即理とは、万象やその理はわが心にほ
       かならないという意。

陽明学派   王陽明とその思想を奉ずる人たちの学派。王畿(竜)や王艮(心
       斎)たちや、日本の五山の僧、江戸初期の中江藤樹などを陽明学
       派の人たちとする。

「孝経」   曾子の作と伝える。孝の意義と方法を述べた東洋道徳の根本書物
       として古くから尊崇された。「古文孝経」「今文孝経」がある。
       ”身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり”
       は有名。

      親や長上に対する仁(誠意)の道徳的実践。儒教では中心徳目と
(孝 悌)   して、孔子・子思・曾子らがこれを重視した。曾子の「孝経」は
       その体系化。一般に家族社会では孝が中心徳目とされる。これに
       対し国民国家や民主社会では公共への徳目が優先する。

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